Q&A 平成24年度

No.1 Q 祈りはかなうのでしょうか。お坊さんはどう思いますか

 私たちは、与えられた一生の中で数多くの希望や困難に出会って生きています。このことは、すでに皆さんも経験したことがあることでしょう。そのような時に、「何かにすがりたい」と感じたことはありませんか?これこそが「祈り」に結びつく心だと思います。

 日常の生活の中で、自分の力だけではどうすることもできない物事に対し、それを乗り越えるため「目には見えない大いなる何か」に畏敬の念をはらうことで力を頂き、自らの背中を押してもらう。これこそが祈りの基本なのかもしれません。

 このときの「大いなる何か」が、私たち仏教徒であれば仏さまであり、キリスト教であればイエスさまであるのです。

 しかしながら、「祈り」という行為が希望をかなえ、また困難を乗り越えさせてくれるかは、私たち自分自身にかかっているということを忘れてはなりません。日常から何かを成し遂げようとする強い心を持って生活し、自身が努力した結果に対し、さらに力をお与えくださるのが仏さまなのです。

 困った時だけでなく、日頃から、「目には見えない大いなる何か」に畏敬の念を現し、生活してゆくことが大切なのです。

平成24年度 本山仏青 回答 

 

No.2 Q お坊さんの食事の特徴について教えてください

 みなさんは「精進料理(しょうじんりょうり)」という言葉を聞いたことがあると思います。肉や魚を使わないで、野菜や豆類を中心とした食事のことです。お坊さんの食事はこの精進料理が基本となっています。

 現在、精進料理の専門店では、見た目や食感がお肉やお魚に似ているのに実は大豆や山芋から作られていたりして、楽しい料理がだされますが、精進料理の本来の意味は殺生をしてはいけない、肉食をしてはいけないという仏教の戒律にあります。

 生き物の命を奪うということを極力さけた食事が守られてきたということです。

 しかしよく考えてみますと、命はなにも魚や動物だけでなく、植物にもありますよね。涅槃経というお経の中には「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」と説かれ、この世に存在するあらゆるものに仏様の命が宿っているとされています。

 そういう意味では、食べものすべてに命があるのですね。お坊さんに限らず、大切なのは食事の前には「いただきます」、食事の後には「ごちそうさまでした」とお唱えし、無駄な大食いや食べ残しをせず、心から命をいただくことだと思います。

 今ではお坊さんも修行期間を除いて日常の生活では、現代人と同じようなものを食べている方が多いのですが、他の命をいただいて生かせてもらっているという感謝の念を、この文章をお読みの皆さんも是非お持ちいただきたいと思います。

平成24年度 滋賀仏青 回答 

 

No.3 Q 祈祷札に期限は有るのでしょうか

 そもそも祈祷とは「祈=望むところに近づきたいと神仏にいのる(・・・)」と「祷=長々と神仏に訴えていのる(・・・)」の二文字で共に神仏に対していのる(・・・)行為です。

 そして御札とは「札=文字を記する為に使用する木」を意味します。よって祈祷札とは現世利益の目的達成への祈りの儀式(護摩焚きナド)を行い、その内容を記した札ということになります。

 では、御札の期限とは……。例えば「家内安全」や「身体健康」は常にそうありたいので区切りはありません。「必勝祈願」や「受験合格」の場合は一つの区切りの線引も分かりやすく御札の返納・焼納もよいでしょう。しかし、「御札任せ」だけではなく努力も苦労も必要です。さらに神仏に対して感謝の気持ちを持ちましょう。

 新年を迎えるにあたり、又は気分一新として新たに願掛けを行いたいなど貴方の節目(・・)が期限なのかもしれません……

平成24年度 京都仏青 回答

 

No.4 Q 日常のおまいりについて、どのようなことをこころがけたらよいでしょうか 

 天台宗では、一般に朝夕の勤行として「朝題目に夕念仏」が行われています。

 「朝題目」とは、朝に法華経を唱えることによって、自らの罪を懺悔(さんげ)し、心を清らかにします。「夕念仏」とは、夕に念仏を唱えることで、ご先祖さまに感謝し、またすべてのものに感謝をすると同時に、自分の心の中にある仏さまを見つめなおします。

 何かと忙しい現代、朝夕に長いお経を唱える時間もなかなか作れません。でも、心の中にいつも懺悔と感謝の気持ちを持っていれば、仏壇やお墓に手を合わせるだけでも、仏さまはあたたかい慈悲の心で包んでくださり、あなたの気持ちを毎日満たしてくれるでしょう。

平成24年度 近畿仏青 回答

 

No.5  Q 出家とは、どういうことでしょうか?

 出家とは、古代インド語でプラヴラジャー、すなわち家から出ることですが、家庭を離れて仏道に専念すること、またはその人のことです。

 お釈迦様の時代は、固定的な住居を持たず様々なところで修行をする「遊行」の生活を行うことが一般的でした。後の時代には仏をまつり、修行を行う専用の道場である「お寺」が作られるようになりました。現代の日本の僧侶の多くは家庭を持ち、お寺に住居を構えていますので、「家を出る者」の意味合いは薄れ、「在家(一般の仏教信者)」の方との差が説明しにくくなっています。

 それでは現代の「出家」とは、どういうことでしょうか?

 まずは師となる僧に導きを受けて剃髪し、法名と戒律を授かった人。そして宗派に定められた修行や規定を果たした人が「出家」者ですが、その後も研鑽を怠らずに精進を重ねる姿勢を保ち続けているか、修行で得た成果を他者や社会に還元しようとしているかどうかが、「出家」と呼ばれる者に求められることではないでしょうか。

平成24年度 兵庫仏青 回答 

 

No.6  Q お坊さんの戒律について教えてください。

 日本のお坊さんは殆ど妻帯してお酒を飲んでいるから破戒僧しかいない!と、檀家さんにたまに言われます。でも、結婚や子育て、お酒を飲んで歓談する経験なんてお坊さんには必要ない!とは言われません。

 そんなわけで、やはり日本では人生の苦しみを理解し、助言出来る様な人のほうがお坊さんとして求められている様な気もします。とはいえ、仏教には種々戒律がありますが、全てを一生絶対に守り切るという事は、非常に難しいものです。ただ、慢心せずに善行に励む為には、常に意識しておく必要があるのかも知れません。

平成24年度 岡山仏青 回答 

 

No.7  Q 仏壇のおそうじのしかたについて教えてください。

(唐木部分)

・日常のお手入れは毛ばたきでほこりを落として、乾いた柔らかい布(シリコンクロス、綿布等)でから拭きして下さい。

・汚れがひどい場合は薄めた中性洗剤を布につけてかたく絞って汚れを落とします。その後、洗剤が残らないように水をつけた布をかたく絞って拭いて、最後に完全に水分を拭き取って下さい。

(漆塗り部分)

 ・毛ばたきでほこりを払ってから乾いた柔らかい布でから拭きして下さい。

 ・汚れがひどい場合はぬるま湯につけた布で汚れを落とし、すみやかに乾いた柔らかい布で完全に水分を拭き取って下さい。

(金箔部分)

・直接布などで拭くと、金箔がはがれおちて漆の塗り面(黒色)が露出することがあります。毛ばたきで軽く払う程度にして下さい。

(真鍮等の仏具)

・乾いた柔らかい布でから拭きして下さい。汚れがひどい場合はぬるま湯につけて優しく洗って、最後に完全に水分を拭き取って下さい。

 以上、日常のお手入れについてまとめてみました。もしわからない事があれば近所の仏具店に尋ねてみて下さい。

平成24年度 山陰仏青 回答 

 

No.8  Q お位牌や仏像の開眼供養はどうして必要なのですか?

 開眼の必要なものには位牌、仏像の他に石塔(お墓)、塔婆、御札など沢山の種類があります。それぞれ多少の意味合いが変わりますが、全てお坊さんによって開眼を行うのが慣わしとなっています。一般には性根を入れるといったりしますが、元々性根とは本来正しい心、本質的なものを指します。ここでいう正しい心とは、お位牌であれば故人への供養の心、ご先祖への崇敬と感謝の心、そして仏像なら仏教に対する信仰の心といったところです。

 もっとも、正しい心や信仰心などといっても、形はなく目で見る事も手で触れることも出来ません。まして現代社会では仕事に忙殺されたり、他の楽しい事に目がいったりして、目に見えない大切な心はとかく行方不明になりがちです。ですから本当に大切なものは形にして見失わないようにしなければなりません。開眼とはそうした目に見えない大切な心を形にして、見失いそうになってもまた見つけやすいように標しをつける作業なのです。お坊さんにお経を上げてもらう、花や水を備え、ろうそくを付け、線香を立てる、この行為が形のない心を顕すことで、目に見える大切なものと成りうるのです。

 開眼は立ち会う人の清浄な心が一番重要なので、日常の雑事は忘れ、敬虔な気持ちで臨みましょう。

平成24年度 四国仏青 回答 

 

No.9  Q 護摩修法のご利益について教えて下さい。

 護摩とは、古代インドのhoma[焼く、焚()くという意味の言葉]の音写からきている密教の祈祷修法の一つで、御本尊様(主に不動明王)の前に火炉のある壇を設けて、おこした火の中に木や穀物などの供物を投じて御供養をするお祈りの仏教儀式です。屋内で行われることが多いのですが、外で修される場合もあります。その中で、丸太でキャンプファイアーのように壇を組みヒノキの葉で覆い火を焚くのを「採燈護摩」といい、その燃え残った炭の上を歩く「火渡り」といった法要もあります。

 そのご利益は、おこした炎を御本尊様の智慧の象徴として、むさぼり・いかり・おろかさといった人間の煩悩を焼き尽くし、様々な願いを清浄なものとして成就するよう祈願するのです。祈願の1つの形として、火にくべる木(護摩木)に願い事と名前を書いて御本尊様にお願いする「添護摩」があります。

平成24年度 九州西仏青 回答 

 

No.10 Q 腕輪念珠をする腕って決まっているのですか

 私たちにはそれぞれ利き手がありますが、腕輪念珠をする場合は左手でよろしいと思われます。

 左手は「自分」を表し、右手は「仏さま・故人」を表すともいわれます。

念珠というのは仏様を身近に感じて生活するべく、自分を清浄に保つ為に持ち、自身の心を支える法具です。

 仏事に限らず、腕輪念珠は左手に持ちます。「左手は自分」という意味からです。

平成24年度 九州東仏青 回答 

 

No.11  Q ペットの死について、どのように供養したらよいですか?

 人間であれ動物であれ、生命の尊さにおいて違いはありません。

 動物の死を仏事で弔うという事例は、歴史上数多く見られます。例えば、家畜として飼っていた牛馬の死に対して、漁で獲った魚に対してなど、感謝の意も込めた供養は積極的に行われてきました。しかし、同じ動物でもペットとなると少々感覚は異なるでしょう。共に暮らし、家族の一員だったのでしょうから、人間と同じように供養することもあるはずです。飼い主が求める形態・頻度でご供養されるのがよいかと思います。お付き合いのあるご寺院、またペット霊園などにご相談されるのも結構でしょう。

平成24年度 東海仏青 回答 

 

No.12 Q 御開帳って何ですか 

 お寺の仏様はそのまま安置されている場合もありますが、中には厨子と言う仏様を収める入れ物にお入りになって秘仏として普段は直に見られない仏様もおられます。その厨子の扉を開け仏様を直に見られるようにする事を御開帳と言います。

 御開帳をするお寺は月に一度、年に一度、数十年に一度などそれぞれ間隔が違います。ちなみに長野・善光寺の前立本尊様の御開帳は七年に一度行われております。

平成24年度 信越仏青 回答

 

No.13 Q どうしていっぱいいろんな宗派があるのですか

 みなさんは、「対機説法(たいきせっぽう)」というコトバを耳にされたことはございませんか。これはお釈迦さまの布教・教化の特徴をよくあらわした用語です。お釈迦さまはいろいろな方々に教えを説かれました。ですから、お釈迦さまは相手の宗教的能力や境遇その他諸事情、諸条件を考慮して、わかりやすく法を伝えることに最も心を砕かれたのです。こうした説法態様を「対機説法」といいます。
 当時、お釈迦さまの教えに接した者の数は膨大であったはずです。当然その意味内容は多岐にわたったことでしょう。果たして、後世それらの教説を経典としてまとめてみると、相互に矛盾するようなことが少なくありませんでした。結果、どの教えがお釈迦さまの真意なのかが問題となり、学派が形成されるようになりました。
 現在、日本には十三宗百派といわれるほど多くの宗派が存在します。こうした派生の源流も、究極的にはお釈迦さまの真意の探求という問題意識に遡ることができるといえます。したがって、いまの日本の現状は、お釈迦さまの自由自在な説法に由来しているといえるでしょう。

 平成24年度 神奈川仏青 回答

 

No.14  Q お寺にはどうして梵鐘があるのですか?

 梵鐘の「梵」はサンスクリット語の「神聖・清浄」を意味するBrahman(ブラフマン)の音訳であります。

本来梵鐘は、初期大乗仏教で教団生活を規制するために使われていたものであり、後に寺の存在を示し、大衆と仏教のつながりを保持するものとなりました。

現在の梵鐘の主な役割としては、法要など仏教における儀式の予鈴として撞かれる梵音具として重要な役割を果たしています。また、梵鐘は朝夕の時報として撞かれることもありますが、ただ単に時報として撞かれるものではなく、鐘の響きによってあたりの空気を清め、鐘の音の余韻のなかにお参りする気持ちを込めるものとして、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされます。こうした梵鐘の功徳については多くの鐘の銘に記されています。

平成24年度 北総仏青 回答 

 

No.15  Q 正座の歴史について教えてください 

大変難しいご質問です。はっきりしたことが言えませんが、参考までにお答えいたします。

 現在知られている正座、両足を折りたたみ、その両足首に腰をのせるというこの座り方は、実は呼び名がたくさんあって、しかもそれらを一まとめにして「正座」と呼ぶようになったのは最近のことらしいのです。それとは逆に、というのでしょうか、古い文書には正座の文字がでてくることはありますが、それは現在の正座ではなく、当時の正式な座り方を指しているようです。あぐら座りや片ひざを立てた座り方といった、現代では楽な座り方、あるいは状況によってはだらしないとみなされる座り方も、時代によってはそれが礼儀にかなう座り方だったわけです。

 正座の起源についてはっきりしたことはわかりません。少なくともアジア地域では、このように足を折りたたんで座る姿勢そのものについては、古い時代から知られてはいたようです。しかし、今も昔も正座をすると足が痛くなるのは共通だったでしょうから、何らかの儀礼など特別な状況以外では、長時間正座をすることは少なかったと考えられます。

 日本における正座の歴史もはっきりしていません。正座の姿勢をとっているような土偶や埴輪が出土していることから、この姿勢そのものは古代から存在していたと思われます。他方、古代の中国では正座が広まっていた時代があり、そこから日本に伝来したということも考えられます。どちらにしても正座は特殊な座り方で、通常はあぐら座りが普通でした。また、あぐら座りがだらしないという感覚はなく、身分の高い人間も格式のある場面においてもあぐら座りをしていたようで、むしろこちらの座り方が正式な座り方だったと言えます。

 正座と宗教、特に仏教との関係を考えてみます。日本の仏教にはインド由来の伝統的な座り方として、結跏趺坐(けっかふざ)および半跏趺坐(はんかふざ)という座り方が伝わっています。両足首をそれぞれ反対の足のふとももにのせるのが結跏趺坐、どちらかの足を同様にのせるのが半跏趺坐です。これは密教修法や坐禅に用いられる座り方で、古くから変わらない姿勢で伝承されてきました。ですから僧侶が古代から結跏趺坐という座り方をしていたことは確かです。しかし正座については、今では僧侶は正座するものという印象が定着していますが、それがいつから、どのくらい正座が取り入れられるようになったかよくわかっていないのです。

古くから伝わる仏への礼拝法として五体投地礼というものがあります。立って合掌した状態からしゃがみこんでひざまずき、両手を前に突き出して上体を伏して頭を地面につけるというやり方です。この途中の姿勢というのでしょうか、ひざ立ちして合掌する長跪(ちょうき)というものもあります。これらのひざ立ちの姿勢から腰をおろすと正座の姿勢になりますので、現在正座と呼ばれる「姿勢」が長時間そのままでいる「座り方」として認知されていく過程に、仏教僧侶が何らかの形で関わったのかも知れません。日本の古代から中世にかけて、日常的な座り方として正座を用いていた可能性が最も高いのは僧侶たちである、とは言えると思います。

 特殊な座り方であったと思われる正座が、日常の座り方として広まっていくのは江戸時代になってからです。戦国の世が遠いものとなってからは、武士階級のあいだでは儀礼や作法が重視されるようになりました。そのような風潮の中で、これまで一種特殊な、長時間座ると苦しい正座が、行儀の良い姿勢としてあえて作法に採り入れられるようになったようです。武士の正式な座り方として次第に定着し、次に町人達に広まっていったと考えられます。正座の姿勢と、「正座」という名称が一致して一般的に定着したのは昭和に入ってからのようです。

平成24年度 南総仏青 回答

 

No.16 Q 元三大師の御札のおまつり方法について教えてください 

 元三大師良源様は比叡山中興の祖である一方、全国から篤い信仰を寄せられる奇特のお大師様であります。

 お大師様への信仰は史実とは別に、伝説や教化利益の物語が有名であります。中でも、異形の姿の角大師やコミカルな姿の魔滅(豆)大師、鬼の姿の降魔大師の御札はよく知られており、比叡山横川の元三大師堂だけでなく全国の寺院でも授与されております。

 これらの御札は、それぞれ疫病神の流行を鎮めるためであったり、豊作の祈願に対して観音の三十三身に化身して田作りしたり、誘惑という大厄を祓ったりするために、お大師様が変化したお姿を写し取ったものなのです。

 どの御札も災難や魔除けのためなので、家の中に魔が忍び込まないよう、神棚や仏壇、玄関の見返りや家の壁面の上方などの清浄な所に貼っていただけると良いと思います。

 平成24年度 埼玉仏青 回答

 

No.17  Q お経の冒頭にある如是我聞ってどういう意味ですか?

 如是我聞・・・我れ是の如く聞けり・・・ワレカクノゴトクキケリ・・・・? つまり「私はこういう風に聞きましたよ。」ということです!

 お釈迦様のお弟子にアーナンダという方がいました。アーナンダさんはとても立派なお弟子さんで、いつでもお釈迦様のすぐそばにいて、たくさんのお説法を聞いていました。

 さて、お釈迦様が入滅されてしばらくすると、残された人々はお釈迦様のありがたいお話をまとめていつまでも残していたいと思い、お釈迦様のお話を聞いて覚えている人たちを集めました。その集会に参加したみんなは、自分がお釈迦様から聞いたお話しを披露しました。

 その中でもアーナンダさんは、一番たくさん説法を聞いていたので

「私はこのように聞きました、・・・・・・・・」

また、別のお話も、

「私はこのように聞きました、・・・・・・・・」

そのまた、別のお話も、

「私はこのように聞きました、・・・・・・・・」

そのまたまた、別のお話も

「私はこのように聞きました、・・・・・・・・」

・・・といったようにたくさんのお話をしました。

 この時に、みんなで集まって話し合ったお釈迦様との思い出が、あとになって「お経」として文字にまとめられました。

だからお経は「如是我聞」で始まるのです。「如是我聞」とは、お釈迦様の本当のお説法ですよ!という証拠かもしれませんね。

平成24年度 群馬仏青 回答 

 

No.18  Q お坊さんはどうして托鉢するのですか? 

 托鉢は托鉢行といい、沢山ある修行の一つです。主に食べ物を頂くための行ですが、いろいろな方から少しずつ頂きますので、自分の好きなものだけというわけにはいきません。時には嫌いなものがあるかもしれませんが、有難くいただくことで物に対する執着をできるだけ無くすために行います。

 修行中のお坊さんは生活に必要なものしか持たず、又、修行に集中できるように作物を育てることはしません。しかし、お坊さんも食事を取らなければ生きていけませんので、一般の方から食べ物を分けていただかなければなりませんでした。そこで、托鉢を行うようになりました。

 仏教を開いたお釈迦様も托鉢がとても大切な行だと考え、修行の基本としました。

ただ現在では、この托鉢精神を生かし、募金活動等を行っております。

平成24年度 茨城仏青 回答

 

No.19  Q 仏教と神道は両方おがんでよいのですか?

 まず、仏教と神道について簡単に説明したいと思います。

仏教とは、紀元前五世紀頃(今からおよそ2500年程昔)に、インドでお釈迦様によって伝えられた教えです。

 一方、神道は、太古の昔から日本において自然発生的に産まれた宗教で、山や川、水や火、草や木、こういった自然の万物には神が宿るとした、自然信仰や先祖崇拝などを大切にしてきた宗教です。

 インドで生まれた仏教の教えは、東アジアを経てこの日本にも入ってくると、日本人はそれを受け入れ、次第に神道と仏教は融合していくようになり、そのような状態を、神仏習合や神仏混淆(こんこう)と呼んでいました。

 ですから、僧侶が神社で拝んだり、寺院の入り口には鳥居があったり、神社の境内に仏塔があったりすることは、ごく当たり前のことでした。それが、明治政府により、神道と仏教が明確に分けられて、現在のようなかたちになりました。しかし、長い間、日本では神と仏は同じように奉られ、崇拝されてきました。

 日本人が古来から大切にしてきた、先祖崇拝や自然信仰は、仏教や神道という枠にとらわれず崇拝されてきたものであり、我々はこれから先も、ずっとその事を大切にし、常に感謝する気持ちが大切だと思います。

平成24年度 栃木仏青 回答

 

No.20 Q 真言の読み方が、なぜ天台宗と真言宗で違うのですか 

 手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏の姿を想う、真言密教は、天台宗(台密)と真言宗(東密)に伝えられています。この真言の読み方について、それぞれ読み方が異なっている場合があります。例えば不動明王の真言になると、

「天台宗」

 ナマクサマンダバサラナン…… 

「真言宗」

 ノウマクサマンダバサラダン…… 

と違いますし、光明真言になりますと、

「天台宗」

 オン アボキャ ビロシャナ…… 

「真言宗」

 オン アボキャ ベイロシャノウ…… 

と微妙に違いがあることがわかります。また流派などによっても読み方が異なります。

 この違いは、天台宗では中天音(中インドの発音)、真言宗では南天音(南インドの発音)を用いるからです。なぜ違う発音を用いるのか、それは伝承によるものとしか言えません。ただ真言宗では、大日如来の宝塔(南天鐵塔)の伝承を大事にするので南天音を用い、天台宗では、当時のインド仏教の中心地である中天竺の発音を用いると見る事ができます。

平成24年度 福島仏青 回答

 

No.21  Q 写経がブームですが、やりかたを教えてください。

 コピー機で簡単に文章を複写することができ、さらには電子書籍のようにダウンロードという手軽さで何時でも何処でも書物を手に入れることができる現代ですが、写経が見直されています。写経に没頭できたこと、書き終えた達成感や開放感などを感じる方が多いようです。ただし、それには写経にふさわしい環境を整えることが重要です。特にこれから写経を始めようという方にとってはなおさらです。まず写経の間、他からの連絡などで邪魔されない静かな場所で行うのがよいでしょう。

次に写経作法についての一例です。

まず手を洗い、口をそそいで、心身を清めます。

お線香を一本立て、墨を仏さまにお供えした水ですります。

写経を始める前に合掌して、一度、浄書するお経を読誦します。

経文手本(台紙)に薄紙を重ねて、一文字一文字を急ぐことなく丁寧に書き写して行きます。

筆は毛筆が最適ですが、ペン・ボールペン・サインペン・鉛筆等で書写しても結構です。

「為」部分には写経した方のお願いごとをお書きください。例:家内安全、先祖代々菩提、学業成就、身体健康、心願成就など。

写経が終わりましたら、合掌し、一度浄書されたお経を読誦してご祈念ください。

 

書き上げたお経は、納経されることをお勧めいたします。近所のお寺もしくは菩提寺までご相談されるのがよいでしょう。天台宗としても推奨しておりますので、詳しくは天台宗公式ホームページをご覧ください。

写経によって心の眼を開くことを説かれた慈覚大師の浄行にならって『法華経』を写す「如法写経」は、連綿と比叡山に受け継がれて今日に至ります。また各地に写経会を行っている寺院がありますので、参加してみてはいかがでしょうか。

平成24年度 陸奥仏青 回答 

 

No.22  Q 塗香について意味や作法を教えてください。

 塗香は、お香によって身体を浄めるために行います。お坊さんは法要に於いて壇に登り、まず最初に塗香の作法を行ない心身を浄めるのです。

 天台宗の作法としては、まず右手の人差し指と中指で香をつまみ、最初に額、次に口で少し含むように、最後に胸の前で両手に広げ手を交差するように三度体に塗りつけるようにします。これで身口意(体・体内・心)を浄らかにしたという事になるのです。

 塗香は漢方薬として日本に入ってきたという説があります。お坊さんは特別な法要の時に誓水(せいずい)という水を飲む事があるのですが、これに塗香を溶いて更に念を入れて体内を浄らかにする事もあります。

 そもそも塗香に限らずお香(塗香・含香・抹香・線香など)とはその香りを仏様に捧げ浄めるために使われています。ですので、その時々において様々なお香が使われ、塗香はその中でも自身を浄めるために使われる最も基本的なものという事です。

平成24年度 山形仏青 回答